しなもん日記 -6ページ目

=館長庵野秀明特撮博物館〜ミニチュアで見る昭和平成の技=

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自分の周りで観に行ったみなさんからすこぶる評判の良い展示会。10月頭で終了してしまうというので慌てて行って来ました。てっきり10月末までやっていると勘違いしていたので焦りました。
平日午前中からでしたが(朝イチで予定があったので、会場に着いたのは11時前くらい)、平日とは思えない混雑ぶり。でも、どこのエリアも、そこまで待ち時間は掛からなかったかな。それでも見所いっぱいなので、休憩せずに3時間くらい掛かりましたけど。
音声ガイドは清川元夢さん、聴き応えありました。一人用はイヤホンなしで耳に音の出る部分を当てて聴くタイプでした。混雑している上に、複数グループの方々はいろいろ語りながらの観覧が多いため、かなり場内がざわざわしており、ちょっと音声ガイドをイヤホンなしで聴くのはしんどい状況だったかなと思いました。一人用もイヤホンで聴いてる観覧者さんが結構いたので、自前のイヤホン刺せば良かったのかも。
自分が一番良かったのは、映像作品『巨神兵東京に現わる』のメイキングかな。すごく楽しそうでした。
日本の制作現場が培って来た特撮に関わる技術が廃れようとしていることへの嘆きというか警鐘めいたコメントをいくつか、展示や音声ガイドから感じました。若い世代で特撮に興味を持つ人が出て欲しいという願いは、この展示を見に来た人間としては誰でも持ってしまうと思うのですが、同時にそれは現実問題としてはなかなか難しいようにも感じました。展示されていた作品に個人所蔵のものが多いことともリンクしているように思います。完全に失われることはないだろうと信じたいですけれど。
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自分が特撮で一番印象の強い作品は、海外の映画ですけど『2001年宇宙の旅』で、1968年の作品ですが、今観ても、何の遜色もない、と思えます。以前は2001年の特撮が好きすぎて、3DCGに批判的だったほどでした。その後、CG技術の進歩しましたし、大分前から特撮もCGも使い方次第でどちらがより優れているとか良いとかそういうわけではないと考えを改めるようになりましたが。
巨神兵のfigma、販売分は終了していましたが予約は受け付けていたので購入しようかなと思ったのですが、展示品を見たら思った以上に細かったので、悩んだ末、購入は見合わせることにしました。家にある他の人外フィギュアと並べると、ひとりだけ弱く見えちゃいそうなんだもん。。。

東京都現代美術館は、今回で3度目くらいの訪問でしたが、何度来ても遠く感じます。
お腹空いていたので、帰り際、途中にあったカフェでフレンチトースト食べました。
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=葛河思潮社第二回公演:浮標=

三軒茶屋世田谷パブリックシアターへ、長塚圭史さん演出の<浮標>を観に行きました。
2011年2月に吉祥寺で上演した公演の再演です。第一回公演も観に行ったのですが、すっかり忘れていました、この公演が4時間にわたる長時間演目だということを。
演出、舞台セットは前回と同じ、出演者は主演の田中哲司さんと長塚さん以外変更されていましたが、そんなに大きく違いを感じる要素は少なさそうなのに、何だか、自分には、2011年に観た舞台とは大分印象の違うものとなっていました。これは、提供側の変化なのか、観た自分の変化なのか。
当然のことながら、2011年2月は311の震災より前です。311前後で、自分に関しては生活や思想の部分で特別な変化はないと思っていたのですけれど、あれから1年半経過する中、常に311は自分の身近にあり続け、大きく重い出来事だと考えを改めるようになりました。恥ずかしながら、いまだに、テレビで311関連のドキュメンタリー番組などを観ることが出来ませんし(地震メカニズム的な科学番組なら大丈夫)、311を境に、それより前の日々は、酷く遠い昔の出来事のように括られています。2011年<浮標>も、すごく遠いです。思い起こそうとすれば、鮮明にその場面や印象を浮かべることは出来、ああ、そんなに前のことじゃなかったんだなと思えるのですが。また311だけではなく、この1年ちょっとの間、自分もプライベートで人間関係に於ける喪失や困難がいくつかあったりもしたので、そういった問題を扱っている<浮標>に対しては特に敏感になっているのかも。
今回、葛河思潮社第二回公演に<浮標>を再び選んだことは、長塚さんにとっても311を意識したから、とのことでした。企画時期的に意図したのが311だったのは勿論そうだろうなと分かってはいるものの、今日の鑑賞中は、いま現在の日本の情勢的にはもっと別のものを想起せざるを得ませんでした。日中戦争時のお話ですしね。そんな中での公演だったのも、2011年のときと印象が異なる理由のひとつなのかもしれません。特に万葉集の部分とか。でも、これも七転八倒するゴロウの心情の吐露のひとつに過ぎない面もあるので、文面通りの意味合いには受け取れなくもあるのですが。
それから、セットが同じでも、劇場が違うだけで印象が全く変わってくるんだなと、ちょっとビックリしました。座席の位置もあるのでしょうけれど。前回の吉祥寺シアターで俯瞰的に観るスタイルの方が、この舞台には合っているように思いました。吉祥寺シアターでもセンターの前の方の席だと印象全然違ったのかな、自分はバルコニー席だったので。世田谷パブリックシアターの2~3階は(そもそも1階席も空席あったので2~3階で鑑賞している人ほとんどいなかったけど)舞台までちょっと距離がありすぎて、それはそれでまた感じ方が違いそうなんですよね。世田パブも好きな劇場ですが、<浮標>は吉祥寺シアターで観る方が好きでした。
主演の哲司さん、今日は少し喉が枯れていたのですが、それだけが理由ではなく、初演のゴロウとは大分印象が異なっていたように感じられました。観ながらふと、ミオがこうなってしまったのはゴロウが原因である部分が大きかったのではなかろうか、と何度も思ってしまいました。しかしながら、そんなゴロウを選んだのもミオ自身であるので、ゴロウが悪人であるとかいうわけでもないのですが。ゴロウの方がミオに囚われている部分も大いにあるわけですし。人と人との関わりって、分かっているけど、複雑だなあ。
ミオ役の松雪さん、今にも消えてしまいそうな美しさだけでなく、か細い声なのにとてもよくセリフが聞こえて来てビックリしました。マイクを使っていたようには思えなかったけど、音響に工夫があったのかな。初演の藤谷さんもとても良かったですが、松雪さんもすごく良かったです。他の出演者のみなさまもとても良かったです。

ちなみに前回の感想はコチラ。
http://ameblo.jp/shinamon/entry-10795726743.html
2011年2月の自分、振り返るといくらなんでも芝居観に行き過ぎですね^^;

=いまはすき=

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こどものころ、いちじくがキライだった。
にゅるっとした食感が、食べてはいけないものを食べているように感じられて。
でも、いまはすき。
この季節にしか食べられないのも、いま食べなければという気持ちを煽られる。

先々週、母と外食したとき、サラダの中にいちじくが入っていて。
こどものころ、自分がいちじくをキライだった話をしたのだけれど、母は、わたしがいちじくをキライだったことを覚えていなかった。当時住んでいた家のお隣さんにいちじくの樹があって、この時期になると沢山貰っていたことは覚えていたけれど。

先週は父と妹と外食で。
そのとき、ふとした会話の中で、こどものころ、妹が生まれるより随分前、山へバーベキューに行ったとき、母が車のトランクに食材を一切積むのを忘れていて、空腹を凌ぐためにアケビや山ぶどうを採って食べた話をしたけれど、やはり、父はそのことを覚えていなかった。行った山が鳥海山であることは覚えていたけれど。

人の記憶に何が残っているかなんて、取るに足らないことだけど、ある記憶とない記憶が感じられる瞬間は何となく寂しい。
でも、すぐに、そういう風に感じられる時間を共有することが出来ることだけでしあわせなのだと思い直したりする。

=着席=

$しなもん日記-LIVE
着席で楽しむライブハウス、久しぶり。
そもそもライブハウス自体が久しぶりか。
あ、いや、そういえば、別のとこだけど、8月も行ったっけ。そこはその日、すっごく混んでいて、着席だけど落ち着いて楽しむ雰囲気ではなかったな。ライブ自体はすっごく楽しかったけど。
今日のライブはお客さんの入りがちょっぴり心配な雰囲気だったので、ドリンク以外も注文してみた。

=そら=

$しなもん日記-sky
日が暮れるのが早くなって来た。
夏の終わりは寂しいけど、そんなときの空の色は好き。